神功皇后出産を巡るツアーに行ってきました
以前、当ブログでお知らせした神功皇后 足跡を辿るバスツアー(初級編)に参加しました。8か所の神社を訪れることができて、充実した一日になりました。(写真は香椎宮本殿です。
志免町のシーメイトに集合。主催の志免町の歴史と神話を学ぶ会さんのガイドで神功皇后にゆかりのある神社を巡ります。
(じんぐうこうごう・西暦201年~269年)は、第14代仲哀天皇の皇后。『日本書紀』、『古事記』にも登場します。応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれ、朝鮮半島の新羅への出兵を指揮した逸話で知られています。福岡県では現在の香椎宮、筥崎宮、宇美八幡ほか糟屋郡内の複数の神社(当時は神社ではなく後に神社となった)を訪れたとされています。明治から太平洋戦争敗戦までは学校教育の場で実在の人物として教えられていましたが、現在では実在説と非実在説が並存しています。(wikipedhiaより引用。情報源は不明確とのこと)
最初の見学先は、福岡市東区の香椎宮です。ここは神功皇后が、亡くなった夫の仲哀天皇(第14代)のために建てたほこらだったそうです。本殿は724年に建立、1801年に第10代福岡藩主黒田斎清により再建されました。手作りの神功皇后の紙芝居が上演されました。
香椎宮の裏手にある、香椎宮起源になった古宮。
神功皇后とは関係ありませんが、大正天皇の皇后が参拝されたときに奉納された戦艦摂津の大砲が、本殿右側に安置されています。広い境内で見どころが多くあります。
次に、粕屋町の駕輿(かよい)八幡宮に向かいます。駕与丁公園の中にあります。神功皇后が応神天皇を出産するために、香椎の宮を出発し宇美八幡宮に向かった時、この地で休息されました。ここに住んでいた人たちが祭神したのが由来と言われています。駕輿(かよい)八幡宮から、駕与丁池を望みます。志免町から粕屋町に抜ける道路沿いで、ランニングコースのすぐ横にあります。気づかずに通り過ぎる人も多いかもしれませんね。
同じ粕屋町の日守神社です。神功皇后の三韓征伐のおり立ち寄り、日を見守られた(太陽をじっと見て)「今何時ですか」と尋ねたことから創建されました。
志免町の御手洗八幡宮は、時間の都合で前を通っただけでした。続いて、志免町の王子八幡宮に立ち寄りました。1643年に建立され、大正11年に現在の地に移りました。裏には宝満山の竈門(かまど)神社(太宰府市)の末社もあります。
この地は王子八幡宮が移転してくるまでは、江戸時代は代官屋敷でした。境内には、その時代の手洗い鉢、階段や屋敷の土台などが現在も残っています。
昼食時にはたのしい小テストも行われました。
続いて、須恵町の旅石神社です。この場所で皇后が「あなわびし」と言ったそうです。それが「わびし」→「たびいし」となまって、「旅石」という地名になったそうです。
最後は宇美八幡宮です。古事記に神功皇后が応神天皇を産んだ地と書かれていて、安産信仰の神社となり、現在も安産祈願や出産後のお礼に多くの参拝者が訪れています。
隣には宇美町歴史資料館があります。宇美町の新旧の資料もありますので、宇美八幡宮に参拝されたときには、いっしょに立ち寄ってみるのもおすすめです。
志免町の歴史ガイドのKさんも参加されており、より詳しいお話も聞けて、大満足のツアーでした。
神話と歴史を学ぶ会さんは、これからも学びのイベントを企画していくそうです。楽しみにしています。
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